桜貝の気まぐれ日記

還暦過ぎての初ブログ開設

伝統を変えなければ

宝塚歌劇団における過酷な業務とハラスメントによる劇団員の死亡事件」に関する、遺族代理人弁護士による記者会見が、厚労省記者クラブで行われた。

少し気持ちが落ち着いて来て、東京から公演が再開されるんじゃないかと思っていた矢先に上記のようなニュースが大々的に報道され、その後、今まで報道を控えていたマスコミにも取り上げられることになった。

まず、劇団は遺族に対してこのひと月半どのような対応をして来たのかと感じた。

遺族の気持ちに寄り添い弔意を表し二度と再発しないように取り組む旨を真摯に伝えたのだろうか?

遺族側弁護士人の選定をみるに遺族側の闘う姿勢がありありと感じられる。

遺族の宙組に配属されなければ死ぬことは無かったったというかなり断定的な言い方に衝撃的を受けた。

亡くなった団員は謂わゆる鬱状態だったと思われるが、家族はその状態にあるのを知りながら精神科を受診はさせなかったのだろうか?

長の期の責任とか残る同期に負担をかけるとかは鬱状態の人を放置する理由にはならないと思うし、そのような状態の人はどんな言葉をかけられてもマイナスの方向に受け取ってしまうのではないだろうか。

そして同期の為にと言われた同期の気持ちは考えての発言なのか。

もしヘアアイロンの事件が故意だとしたら傷害事件だと思うが、それは当事者間でしか分からないことなので一方の話を鵜呑みには出来ないと思う。

もし故意でないと言えるなら加害したと言われる団員も弁護士を立てて闘わなくては。

私はパワハラが無かったとは言っていない。

パワハラと言われた言葉もどのような場面でどのような調子で発せられたのかも分からない。

亡くなった団員が鬱状態にあって極度の被害妄想にあると感じた上級生から発せられた叱責だったのかもしれない。

でも、何の理由があろうと相手がパワハラだと感じる言葉はかけてはいけない時代なんだよね。

よく、宝塚では演出家や上級生の愛ある指導という言葉が使われ、あの時は辛い思いをしたけど今はあの時叱って貰って感謝していると言うエピソードが美談として語られるけど今の時代にはそぐわなくなったんだと痛感するし、コロナ禍のコミニュケーション不足も影響していると思う。

過酷な業務のひとつとして新人公演の演出家の補佐の仕事まで任されるとは知らなかった。

団員の人数に対して指導者が足りていないのだろう。

夜遅くまで新人公演のお稽古をするのは芸事を追求する為には当然と思っていた。

これまで新公学年の団員たちが皆んな辛いレッスンをして乗り越えて来た道だとしても今後は変えねばならなくなるだろう。新人公演そのものが廃止されることもあり得る。

2024年はトップも今のところ2人は退団するし

いっそのこと組を解体して、各公演ごとに団員をシャッフルして振り分けたら良いと思う。

翌年の公演をラインナップして、トップスター、トップ娘役、2番手男役、3番手男役、2番手娘役それぞれ5人をシャッフルして配置して他の団員も均等にシャッフル、公演ごとに変えていく。お稽古期間もあるので連続しないように組むのは難しいのかな。専科も加えれば可能なのかな。

トップスター、トップ娘の人数を増やして休養期間を増やすのも良い。

なかなか新鮮で緊張感があって実力主義で良いと思う。番手昇格も劇団全体で考えられるし。

それこそ宝塚はひとつだ。

音楽学校は高校卒業を入学資格にした方が良いと思う。

組長、副組長の制度はやめにして各公演ごとに指導者、世話役やカウンセラーを充分置いたら良い。

とにかく、大改革をしなければならない時が来ている。

まずはもう一方の劇団側の報告が待たれる。